誰かが私の家の玄関を叩いている。あまり人が尋ねてこないこの家に、珍しくお客様が来たようだ。何日ぶり?たぶんもう三週間はお客さんなんて来てないよ。そりゃあ顔だってほころぶさ。
嬉々として玄関に向かう長い廊下を駆け抜ける。だって嬉しいんだもん。私は引き戸に手をかけて開け放った。
「はい!いらっしゃいませ!」
しまりの無い顔のままで、威勢よくお客様をお出迎え。しかしその肝心のお客様の姿が見えないのははたしてどういうことだろう。
「…あれ?」
私の目の前には、昨日掃除したばっかりだというのにもう木の葉が落ちてきている芭蕉庵自慢の庭。ただそれだけ。予想していたよりも遥かに視界は広い。確かに扉を叩く音が聞こえたのに、あたりを見回したところで人一人いやしない。ぼう、と強い風が私の頬を撫でた。目の前でまた木の葉が落ちる。それと一緒に、手をかけている扉も軋んだ音を上げた。ひょっとしてこれ?風がお客様?いやいや。メルヘンチックではあるけれど。
俯きながら、はあ、と急に空いた胸から息を吐き出した。
大きな二つの黒目が私をじ、とみていた。
「うわああっ!」
怪談におけるお約束のカメラワークに、私は裏返った声で叫びを上げ、石弓に弾かれたようにその場で飛び上がった。しかしよくよく考えてみると、その真っ直ぐな目には見覚えがある。
「何してるんですか芭蕉さん。年甲斐もなく」
「そ、曽良君…」
現在末弟子の河合曽良君は真っ直ぐな、いい意味でこどもらしい素直な目で私を見返した。素直すぎるのも罪だと彼を見てて思う。でも私と比べてまだまだ幼い彼にそんなことを叱るだなんておかしな話だし、いつも私は笑い流すことにしている。私曽良君の視線にへら、と返した。
「どうしたの曽良君」
「お菓子ください」
曽良君はすい、とこどもながらすべすべした綺麗な長い指を私の目の前に差し出した。曽良君の真意はわからない。きっと無意識のうちにきょとんとしていたんだろう私の顔に、曽良君はむ、と口を曲げた。
「何してるんですか。お菓子ください」
「えーっと…何故?」
「海の向こうの国ではこの時期こどもにお菓子をくれるみたいですよ」
「へえ、曽良君物知りだねえ」
すごいなあ、と頭を撫でながら言ってやると、曽良君は差し出していない方の手で私の手を払い、こども扱いは止めてください、と呟いた。曽良君の行為と言葉の矛盾に、私は笑みを零した。
「ちょっと待っててね、確かお煎餅があったと思うから、それをあげる」
「お煎餅?僕、お饅頭の方がいいです」
台所に保管してあるお煎餅をとってこようと踵を返して長い廊下を視野に入れた。そして私の後ろに続く曽良君に、妙な注文を付けられた。
「え?」
「あるでしょう?お饅頭」
「あ、あるけど…」
頭に浮かんできたのは、近いうちに句会があるからと用意しておいたちょっと値の張る和菓子たち。しかし同時に、何故曽良君が知ってるんだろうという疑問がお腹からせりあがってきた。大事に戸棚の奥に入れてあるし、話を聞いた曽良君が食べたがるといけないからと誰にも言ってないはずなのだ。
何故、この子が知っている?
あんぐり開けた口を慌てて閉じて曽良君を見やった。いつもと変わらない真っ直ぐの目に射抜かれたような気分になって、一瞬背中にぞわ、と何かが走った。
「何で知って…」
「…僕、かくれんぼ得意なんです。見つける方」
笑った。普段めったなことでも笑わない曽良君が、真一文字に引き結んだこどもらしからぬ口元をゆがめた。何?この子。彼の笑みはすぐに消え、詰問しているかのような口調で私を追い詰める。
「どこにあるんです?」
「あ、あれは駄目!句会の時に出すお茶菓子なの!」
「へえ。そうなんですか。でもまあ二、三個僕が食べたって足りるでしょう?」
「曽良君、私怒るよ?」
「僕だって怒りますよ。早くお菓子ください」
「曽良君、だから君ねえ」
「お菓子くれなきゃ、いたずらしますよ?」
じー、と曽良君の目は獲物を捕らえた虎か何かみたいに動かない。なにくそ、と思って私も曽良君を見つめた。お互い硬直状態が続いた。そして曽良君の中で何かをきっかけにして自身の足を一歩前に踏み出し、私の前を走り抜けた。俊敏で軽いこどもの足に、歳の所為か反応できなかった自分に苛立ちを覚える。
「待て!」
待つわけないよね。
慌てて曽良君の後を追ってやってきた場所は、お饅頭のある台所ではなく、私の部屋。そんなところで曽良君は何をいたずらするのかと気が気でない。曽良君が私の部屋に入った途端に閉めた襖に手をかけて、開け放つ。
目に入ったのは今朝起きた時のままの万年床の布団と、ノートが開いたままで放置されてる小さな卓。曽良君の姿が見当たらない。しかしもぞ、と掛け布が動いたので、そこだ!と叫んで白い掛け布を剥がした。
曽良君は、私の友達に鋏を突きつけていた。
「ま!まままマーフィー君!?」
「人質です」
小さな弟子がさらりと恐ろしいことを言いつつ開いた鋏の刃をくい、とマーフィー君に食い込ませる。ぐったりといつも以上にうなだれるマーフィー君。
「机にでもいるかと思ったら、まさか布団の中だったとは。何ですか芭蕉さん、いつも縫いぐるみと寝てるんですか?」
「わ、悪いか!」
「いえ、別に。ただ想像してみるとあまりの腹立たしさにこれを壊したくなりました」鋏が食い込んだ。
「えぇ!ちょ、壊さんといて!私のお友達!」
「ねえ芭蕉さん。怒った気持ちを静めるには、甘いものですよね」
く、と鋏に力が篭もる。
「わかった!わかったから、すぐ饅頭持ってくるからちょっと待ってて!絶対壊すなよ!」
私は要求されたものを取りに走る。どう考えても戦況は不利だ。むしろ負け。ちくしょう、あんなこどもにしてやられるなんて。
……だけど、私を頼ってきてくれてるんだし。
ぱたぱたと走る私の顔は、小さいお客様の所為でほころんでいた。
移行前のサイトでの一万打記念でフリーだったやつです。
2008/10/25
2012.01.30 加筆・修正。