※セザンヌには彼女がいる設定。ご注意ください。

* * * * *

どうせあいつは興味がないとか、私がする理由がないとか、そんな風に言うんだろう。
現に毎年そう言ってはアトリエに篭もって彼女を泣かしている。変なとこで生真面目だから、きっと僕らの馴れ合いにも一切参加しないのだろう。僕らのはそんな甘ったるいものではないのに。
僕らがバレンタインデーに集まってすることと言えば、ちょっと口頭で聖バレンタインの日をお祝いして、それからはバレンタインなどとは一切無縁の絵画大会。なのだけれど。
ピサロさんがいくら言っても聞きやしないみたいだし、おそらく彼は断固として行く気はないのだろう。
『バレンタインは自分には無縁の浮かれた祭り。ストイックな私には似合わない。』とか思っているに違いない。そんな馬鹿なセザンヌ。
奴の、人を小馬鹿にしたような笑みを思い出した。

「……つまらん」

ピサロさんたちとの絵画大会まであと数刻。
待ち合わせ場所である町の中央広場で、一つぼやいて石畳を踵で蹴った。地団駄と呼べるほどの威力も気持ちもなく、弱々しい。灰色の空を見上げて息を吐いた。絵の具のようなどこかどろりとした息が見た目の重厚さとは裏腹に軽々と立ち上っていく。

どうも気が乗らない。今からみんなで絵を描きに行くのだけど、どうも今日はいい絵が描けそうにない。
気分的な問題だ。あまり曇り空は好きでは無い。見上げたついでに睨みつけてみる。もっとも睨んだところで空は晴れないから、すぐに目線を戻した。
まだピサロさん一行がやってくる気配もない。今のうちに抜け出してしまえば、きっと小さなお咎めくらいで済むだろう。展覧会への出展拒否とかそんなではない。ほんの小さなお小言だけだろう。
セザンヌがいないと思うと張り合いがなかった。何せ奴の絵を見てると反抗心が芽生えてくるというか、創作意欲が沸いてくるのだ。他の画家にも惹かれる。そんな場面もあるけれど、やはりセザンヌの存在感は強かった。才能を、感じた。
そんな奴がいないのだから、モチベーションの維持はきっと難しい。それにあいつはへそ曲がりなくせに寂しがり屋なところがあるから、誰か一人くらい行ってやらないといけないのだ。構って欲しいから人と違ったことをする。子どもみたいな奴なのだ。そういうことにしておきたい。

そんなわけだから、ピサロさんたちに失礼だけれど今年はやめておこうか。決めた頃には、足は広場の外に向けて歩を進めていた。場所はとうの昔に知っている。

待ち合わせの広場からセザンヌのアトリエは比較的近いところにあった。大通りを歩いてすぐ右折。毎年あの広場を待ち合わせに決めているのはピサロさんだということを考えると、おそらくピサロさんなりの配慮なのだろう。いつセザンヌの気が向いてひょっこり現れるかもしれないからと。
ピサロさんが人のことを考えられる人だからこそ、気難しいセザンヌは安心して僕たちの輪の中に入ってこれたのだ。まだ潔癖症で人見知りで、面倒な奴であることに間違いはないけれど、それでもセザンヌは僕らの輪の中にいる。これを仲間と呼んで、いいのだろうか。

一つ息を吐き出した。白い息がほわりと浮かびあがり、目の前の空や建物が霞みがかった。視界にあった建物が見知ったものだとすぐに気付いた。足を止め、その建物に向き直る。
ひっそりとした、セザンヌのアトリエ。本人が居るか否かに関わらず人気がなく、どこか不気味な雰囲気すら滲み出ているセザンヌのアトリエ。何度か来たことはあるが、一向に慣れない。いくらセザンヌの彼女だって突撃することが怖いだろう。奴にしてみれば最高の隠れ家だ。

低い階段を上がって、古めかしい扉を二度ほど紳士的に叩いてみる。

出迎えは来ない。

「……せざーんぬー」

扉の隙間から呼んでみる。
来ない。せっかく来てやったのに影すら見えない。頭にくるが、まだ紳士的な対応を見せるくらいの余力はある。そうだルノワール、こういうときこそ起こらないのが、フランス紳士だ。どんな相手にも愛をもって接するのだ。
もう一度、扉を優しく叩いた。

現れない。
化けの皮がはがれていく。フランス紳士の顔も三度まで。思った頃に、私の口が下品に歪む。
「……ああ、もう!」

痺れを切らした拳で扉を殴った。やや派手な音が僕の耳にも入ってくる。
反応はない。殴られた扉が空しく震えを見せている。それだけ。
急に虚しくなってしゃがみ込んだ。

まったくひどいことをする。
きっとあいつは居留守でも使ってるんだ。会う度に嫌がらせを仕掛けてくる性格の悪いあいつのことだ。きっと僕を放置して楽しんでいるに違いない。あいつはそういう奴だ。性格が歪んでいる。破綻している。何を考えているかわからないいつもの表情が頭の中に過ぎった。奥が熱くなる。

「くっそ……っ」叫びたい衝動に駆られた。

「この、」

性悪セザンヌ!


言い切る前に背中に強い衝撃が襲った。硬い物のような気がする。例えるなら、そうだな。
革靴のような物だ。

「私のアトリエの前で何してるんだ、貴様」

振り返ると、一段下から真っ黒の革靴の裏をこちらに見せ付けるような姿勢で、紙袋を抱えて立っている男がいた。「セザンヌ!」
男の名前を叫びながら立ち上がり、何をするんだと詰め寄った。奴は呆れたように溜息をついて、退け、と僕を一蹴した。

「何をするんだ、はこっちの台詞だろう。人様の建物を思いっきり殴りやがって」
「お前が呼んでも出てこないからだろ!」
「見ての通り買い物に出ていたよ、扉の中から反応なんて来るわけないだろう」

荷物を持ったままで器用に鍵を回して扉を開け、中に入るセザンヌに続いて部屋に踏み込んだ瞬間、セザンヌが僕の靴を見やった。土でも付いていたらそれを理由に追い出そうとしていたのだろう。不満げに小さく舌を鳴らしながら、空の花瓶が置かれている小さな卓に荷物を乗せて上着を脱いだ。

「それで、何の用かね」
「遊びに来てやった」
「今日はピサロさん達とバレンタインのイベントじゃなかったのか。甘ちゃんな君にはぴったりのイベントだ、行って来い」
「寂しんぼで卑屈なお前が思ってるような可愛いイベントじゃないさ、絵を描きに広場に行ってるだけだ。やってることはいつもと変わらんよ」

ほう、と特に興味もなさそうに呟きながら花瓶の中に買ってきたのだろう色んな種類の花を差し入れていく。セザンヌの色彩センスにより、どんどん色が足されて綺麗になる花瓶に一瞬見とれたものの、すぐに我に返ってセザンヌの方を向く。一つ一つの花の配置を思案しながら僕の話に付き合うのは面倒だとでも思っているのだろうか。眉をきゅっと寄せて花とにらめっこしていた。

「それなら尚更君に丁度良い。今日の気の重くなるような曇り空を、空想交じりに彩ってくるといい。そして、甘ったるく町を往来している恋人たちを横目に何をしているんだろうと虚しくなるがいいさ」
「そういう言い方するなよ、いったいバレンタインに何の恨みがあるんだ」
「特にないが」本心からの言葉のようだった。
「なら、一緒に言ったっていいだろうよ」
「生憎、今日はここで篭もって絵を描き上げようと思っていてね」

次の反論の言葉が口をついて出かけたが、別のことが思い浮かんだ。サロンの連中の顔だ。セザンヌと特に親しくしているわけじゃない画家たち。
理由がわかった気がした。
変に真面目なセザンヌは、私たちと会わない理由に彼女まで巻き込んでいるのだろう。可哀相に。

「人見知りめ」
「何とでも言いたまえ……ふむ」
セザンヌは一つのピンク色の花を取って、睨みつける。もう僕のことなど眼中にないのかもしれない。 まったく今日は、つまらない一日だ。これみよがしにひとりごちてみようかとも思ったけれど、セザンヌにダメージはないのだろうと思うと、言ってもしょうがないと感じてやめた。

肩を落として家路に着くとしよう。

「……もう帰るよ、邪魔したな」
「ああ」
花を凝視しながら手を振られた。早く帰れという意味なのか、素直に『さよなら』なのかわからなかったから、何も言う気が起きなくなって、ドアノブに手を書け玄関を出た。

「……ルノワール君」背後で声。不意に呼ばれる。
驚きに胸が跳ねて、振り返った。


セザンヌが絵の具で汚れたエプロンを身につけながら、つかつかと靴を鳴らしながら歩み寄ってきた。
セザンヌがこれから何をするか分かる。制作準備だ。しかし僕を呼び止める理由がわからなかった。

「何だよ。もう制作始めるんならとっとと、」
「持っていけ」

つい、と突き出した白い手の中には何輪かの先ほどの花が見えた。薔薇だ。あまりに唐突で訳が分からなくて、思わず先刻のセザンヌのように眉を締めた。頭の中をひっくり返してみる。模索した結果行き当たったのは、今日の日付だった。そうだ、今日は。

(新しい嫌がらせだ……!)

急に気恥ずかしくなって、眉間に皺を作ったままセザンヌを睨みつけた。「何のつもりだ!」
「何って、花瓶に入りきらなかったから」

至極当然である、と言い放つかのようにセザンヌはふん、と鼻を鳴らした。とぼけているにしては憮然としている。いつもどおりだ。早合点などするものではない。恥をかくのはいつも自分だ。頬を紅潮させていっているのが自分でも分かる。ああ、不覚だ。
「貴様の方こそ何のつもりで……。ああ……」
セザンヌはすばやく僕の想像に行き着いたらしく、赤くなる僕の顔を見つめるなり、いやらしくにやりと笑った。
その顔がどうにも焦らせる。僕はまくし立てるように否定を重ねた。しかしそれも玩具を作る部品にしてしまうセザンヌは、笑顔で私をいじめてくる。
「分かった分かった。じゃあそういうことにしといてやるよ」

笑顔のこいつは信用が置けない。きっと明日にはピサロさん辺りに言いふらされているのだろう。セザンヌの羞恥を煽って面白がろうという魂胆が見え見えで、それが腹立たしい。

制御が利かない頬を諌めるように思い切り叩いた。ひりひりとした痛みと紅潮とが一緒くたになってよくわからない。しかしどちらも外気が慰めてくれているから結局同じだった。

「っ、ありがたく頂いていくよ。セザンヌ」奴が嫌な顔をしてみてくる。
「ああ、そうすると良い」
セザンヌは未だににやにやと口元を歪めながら僕にピンク色の花を渡した。やっぱりみんな同じ花だ。ああ、でも少し匂いがきついな。花束みたいだ、と言いかけてやめた。目の前にセザンヌがいる以上、変なことを言えばまた掻き回されるのだ。もう隙なんて見せてやるものか。

「それじゃあ、いい絵を描くと信じているよ」
「言われなくても」

踵を返して、階段を一歩二歩と早足で降りていった。呆気なく階段は終わり、全部精算されたような気がして息をついた。
「ルノワール君」

また声がしたから振り返る。セザンヌが扉にもたれかかって笑っていた。まだ部屋に入っていなかったのかと、恥ずかしさから瞬間的に怒鳴りたくなったが冷静さを取り戻し始めていた僕は睨みつけるのに留めておいた。そうだ、フランス紳士だ。紳士になろう。

「何だよ」
「それ、2月25日の誕生花らしいぞ」
「は?」
「誕生日おめでとう」
答えに行き着くまでしばらくかかった。
落ち着きを取り戻した頬へ、何かが競り上がって来るのを感じた。そしてそれはもちろん表面にも表れて、僕の体感温度を内から上げる。
何を言ったらいいかわからなかったから、口についた言葉をそのまま垂れ流すことにした。

「そ……っ」
「ん?」

余裕の顔が憎らしい。

「そんな台詞は彼女の為に取っとけ馬鹿セザンヌ!」

その言葉が起爆剤だったかのように、体を動かさないと発散出来ない何かが体内を駆け巡って大きく腕を振って走った。薔薇のことを考えたのは走った直後だった。
冷たい空気がそれを徐々に制止して僕はぴたりと止まって薔薇を一瞥。よかった。まだ散ってない。

やられっぱなしは性に合わなくて、でも何を言ったら効果的なのか分からなかった。とりあえず勢いで踵を返してセザンヌを睨みつけたら何か言葉が出てくるだろうと思って実行してみた。未だにいやらしく笑うセザンヌ。僕はそいつに精一杯の皮肉をぶつけてやることにした。
僕が大きく叫ぶと、セザンヌは笑いの仕様を変えていた。暫く、セザンヌの大声で上げられる笑い声と僕の自嘲的な笑い声が曇天に響いていた。



Merci beaucoup!

(むしろこの花は意地の悪いお前にこそ相応しい!)


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2010.02.15
2012.01.29 加筆・修正。