* * * * *

私は未だ恋を知らない。
そりゃあ年頃の女の子らしく興味もあるし憧れもあるけれど、その憧れには具体的なものがない。
もっとも簡潔に表すならば、相手がいないから。
そうね、「恋に恋する」とはよく言ったもので、今の私の恋に対する感覚を言い表すなら正にそれ。でも、それを行動には移さないの。
だって馬鹿げているじゃない。相手ではなく現象に恋をするなんて。何よりも、相手に失礼だわ。
……まあ、相手もまた恋に恋する純情な奴なら、それなりに上手くやっていけるのかも知れないけれど。

第一、今はそんなことに感けてなどいられない。
だって私は正義の味方だもの!

「私、あなたのこと大好きよ」

かっこよく決めたと思ったのだ。
だって私は、のくだりなんかもう最高、と正直自分に酔っていた。
でも目の前のお友達は、どうやら私の話を聞いていなかったらしい。無垢な可愛らしい笑顔を向けて、私に愛を振りまいてくる。
……「無垢」だなんて、笑ってしまう。
この猫は決してそんな奴ではないというのに。


わたし、あなたのことだいすきよ。

帰り道の道草中。同性の友人にそんなことをほざかれた。
買い食い目的で手に入れたソフトクリームの滴りを見逃し、ぽたりと白い大きな雫が私の手を伝ってベンチに落ちる。そして落ちた雫の数センチ先には、細く白いニャン美ちゃんの指が見える。お行儀よく揃えられた手から伸びるそれは緩く握り拳を作っていて、どうも躾の行き届いた愛玩動物を髣髴とさせる。

しかし体全体の仕草からはあまり大人しそうな印象を受けられない。上半身をその細い手で支え、私の方へと顔を近づけてくるのだ。大人しいというよりは、どちらかといえばませた感じ。
ニャン美ちゃんの、潤んだ猫目は粘っこい視線を私に送り続ける。その目線には彼女からたまに覗く計算高さなどは感じられない。その目が、この告白を冗談と捉えていいものか否かを悩ませる。本音か否か。推理に至れるだけの手がかりはあるのだろうけれど、私の頭はそれを見極められずにいる。

「ねえ、ニャン美ちゃん」
「なあに?」
「そういうことは、クマ吉君にでも言うと良いわよ。釣れるから」

ニャン美ちゃんは大きな目をそのまま私に向け、発言を解析する。
そののち、ふと笑った。

「私、クマ吉君には恋してないもの」

それじゃあ私の方に意味がないわ、とニャン美ちゃんはけろりと言ってのける。

うさみちゃん、わたし、ほんきなの。

近い位置で囁くように言われたそれは非常に倒錯的だと感じた。だって同じ女の子なのに。
つまり、私にそう言うのはそういう感情があるということで、つまりは、その。

「……あんた、どうかしてる」

やっとの思いで捻り出した言葉は、彼女への侮蔑だった。
それを分かった上でなのか、ニャン美ちゃんは素直そうに笑い受け流した。

「恋に恋してるうさみちゃんよりは、まともだと思うわ」
「でも私がそんなだから、この告白には意味はないのよ」
「意味わかんない」
「だって、私はあなたに恋していないもの」

ソフトクリームの表面はすっかり柔らかく溶け出して、もう随分と私の手を濡らしている。ベンチにはもういくつも白い丸が点在している。
しかし動くことが出来ないのでどうしようもない。
情けないものだ。いざ憧れの状況となったら、口以外は怖くて動かすことが出来ない。……いや、こんな状況憧れてなどいやしなかった。同性に告白される状況など、想定したこともない。

ニャン美ちゃんは私の言ったままを素直に受け取り、ふわりと微笑んだ。

「じゃあ、うさみちゃんが私に恋してくれたらいいんだわ」

高慢な彼女は自分が諦めるということを知らないらしい。簡単なことじゃない、と自分の発想はいかにも妙案であるかのように嬉しそうに笑い、更に私に顔を近づける。ニャン美ちゃんの大きな目の中には私が間違いなく居た。
自分を見たくなくて、そして少しでもニャン美ちゃんから逃れたくて、どろどろのソフトクリームを盾として彼女の顔に差し出した。
ニャン美ちゃんは私から視線を外してその盾を見やる。
利口な彼女もこの行動がなんなのかは判別が出来ないようで、小さく小首を傾げて自分が見たままの状況を口に出した。

「うさみちゃん、指がどろどろよ」
「ほんとね。……あんたが面白いこと言って夢中にさせてくれたから気付かなかったわ」
「ふーん」

皮肉を興味を示さずに指を凝視するニャン美ちゃん。ふと、クリーム塗れの指を彼女が掴んだ。
私がへ、と短く声を上げると、ニャン美ちゃんは笑う。
笑顔に表れたそれは、稀に見ることの出来る彼女の底意地悪い表情。

推理するまでもなく彼女の次の行動が分かった。
彼女は躊躇せず、私の指に口付けてクリームを舐め始めた。

「な、ちょ、」

悲鳴に近い甲高い声を上げて抵抗するが、彼女の口から指を引き抜くことは出来ない。
ただその間も、ニャン美ちゃんの舌に翻弄される指を見続けることしか出来ないのだ。

舌の動きが妙にねちっこい。それを他でもない私の指が鋭敏に感じ取る。
こそばゆさも多少はあるが、それ以上に感じるのは彼女の舌の温かさと羞恥だ。

しかし手を強く振りほどいて抵抗するわけにもいかない。
それが快く感じるか否かとか、プライドを傷つけられたとか。そんなことは問題ではない。
正義の味方はいつ何時も女の子に暴力を振るってはいけないのだ。

しかしただ黙って顔を赤らめてその行為を見ていることしか出来ないとはなんともどかしいことか。
いっそこの女を、張り倒してしまえたら、楽なのに。
……同じ、女の子、なのに。

やっと舌が動きを止めた。ゆっくりと指から離れる口に安堵した。
ニャン美ちゃんはにや、と笑って呟いた。

「恋に恋するって、こういうことに憧れるってことでしょう?」
「……あんた、ばっかじゃないの」
「でもうさみちゃんはお顔を真っ赤にしてるわ」
「久しぶりに日ざしが温かいからのぼせたんだわ。きっと」
「ふーん。ところでこれ、美味しいね。一口ちょうだい」

彼女は有無も言わさず、私が持つ冷たいクリームの塊の中に口を埋めた。
今度は一瞬で離れて、満足そうに微笑む。

「うん、美味しい」
「……もう帰るわ」

ベンチの横に置いておいた赤いランドセルを引ったくるように取り上げて背にかけた。
数歩歩くと、背中でくすりと堪えた笑い声が聞こえてきた。

「そうね。もう遅いし」

ちらりと見ると彼女は緩慢な動作でランドセルを持ち上げて、細い腕を通していた。
歩き出し、目が合うと楽しそうにふふ、と笑うのだ。
……女の子同士で恋、なんて。

ニャン美ちゃんが口をつけたソフトクリームからまた落ちてきそうなどろどろを、少し躊躇しながら舐めとった。



そんな年頃。

(……馬鹿馬鹿しい。恋なんかじゃないったら!)


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2010.02.01
2012.01.30 加筆・修正。