最近、彼氏が出来たといって笑顔でプリクラを見せびらかしてくる友達がちょっとうざったい。
年上で、すらっと背が高くて、笑顔が爽やかな大学生だそうだ。(彼女の自慢話の要点を抽出してまとめたらこうなった。)知り合った場所は確かバイト先。そういえば、他にも数人、アルバイトがきっかけで恋をしたと言っていたような気がする。どうやら、アルバイトを始めた先には素敵な恋が待っているらしい。
……私もバイト始めてみようかなあ。
プリーツスカートを揺らしながら呟きとも言い難いほど小さな声でそう言ってみた後、ありえないと首を横に振った。その振動が片手のエコバッグにも伝わり、その中身のポジションが少しずれたのが手ごたえでわかった。
恋するためにバイト始めちゃいました!なんて私のキャラクターじゃない。
それに特別、恋がしたいというわけでもない。ただ、華の女子高生がそういう青春しないのってもったいなくないかなあ、と思うだけで。それに今の私にそんな時間はない。
目的地に到着。足を止めてひっそりとした家屋を見上げると、ここのだめ家主を思い出して憂鬱に胸が痛んだ。気合を入れてから再度足を動かし、阿部という表札のかかった塀を通り過ぎた。
*
今日から三日間ほど、阿部家のお世話役である佐藤さんが出張だそうだ。それはおそらく阿部さん側としては大変まずい状況だ。今日まで阿部家が何とかやっていけてるのは佐藤さんのおかげなのだと言っても過言ではないようだから。
何しろ阿部さんは社会人として最低限の家事もしない。つまり今日から三日間阿部さんとニャンコさんは、食べるものにも困ることになる。阿部さんもニャンコさんもプライドだけは高いから、その辺のスーパーで出来合いのものを買って食べるなんてことはしたくないのだ。
なので数日の間だけ家事、特に料理をしてほしいと、阿部さんの方から頭を下げてきた。
一週間ほど前。ニャンコさんを構いにきたところ、横柄な阿部さんが一回りは年が違う高校生に突然頭を垂れたのだから驚いた。話を聞かされたのもちょうどその時だ。私が物事を把握したときにはいつの間にかニャンコさんも佐藤さんも勢ぞろいで、勝手に話がまとまっていた。巻き込まれたと気付いて断ろうとした時には佐藤さんの深々としたお辞儀を目の当たりにし、阿部家の家事を託されていた。
――要するに、私は人様の家の厄介ごとを見事に背負い込まされたというわけだ。
非常に不本意だが、可愛いニャンコさんのためなら、と思い込んで乗り切るという方向に覚悟を決めた。
引き戸の前に立つと、一つ息をついた。実は人様のお宅を訪ねる直前というのが少し苦手だ。特に今回のような、お呼ばれした(と言っても良いのか疑問だけれど)場合とかは特に。引き戸は曇りガラスなので向こう側は見えないけれど、昼間にも関わらず玄関口から廊下にかけて照明が灯っていることくらいは把握できた。おそらく誰かいるだろうと判断。そして、それだけわかればもういい。
今日この家にいるとしたら間違いなく彼かニャンコさん。オタクや変質者の式神、という可能性も否めないが、彼らがこの家に出入りしているのを見たことがないので除外。さて、と一つ大きな息を吸って目の前の引き戸を叩く。阿部家にはインターホンがない。突然鳴るのも怖いし、お客さんが来なくて鳴らないのも寂しいから。と前に阿部さんが言っていた。
インターホン代わりのガラスが鳴って主人を呼んだ。存外、大きな音だ。
「阿部さーん」
ガラスの音だけでは出てきてくれないと知っているから、名前を呼ぶ。返事も阿部さんもすぐには来ない。
ここの家主は大層な怖がりなので、突然の大きな音にびっくりして嘔吐しているのかもしれない。或いは失神しているのかもしれない。些細なことが大事になることにももう慣れた。そんな自分に呆れるが、なってしまったものは仕方がない。
「阿部さーん、大江でーす。ちゃんと人間ですよー。怖くないから出てきてくださーい」
いつもより長いこと待たされているようなので名乗ってみる。数十秒後、明るい玄関口に人型の影が差してきて、戸が内からほんの少しだけ開いた。
その中からこちらを伺うような目がのぞいていた。私よりも背が高く、見下ろしている風だ。扉の開け方で誰なのかわかっていたけれど、その疲れたような目元で確信できた。
いつまでも待たされているのが何だか癪だったので、一歩踏み出し背伸びして、こそこそとこちらを観察する目に近づいてやると、阿部さんの瞳孔と瞼が見開かれた。
「こんにちは」
挨拶の声も少し低めに威圧的に。
引き戸を挟んで、目だけが見える。私は加害の側なので怖くも何ともないが、阿部さんからしたらきっと恐ろしいに違いない。今に叫び声を挙げて逃げるのだろう。
考えた直後、案の定相手は情けない悲鳴と共に仰け反って私の狭い視界から消え、その途端に鈍い音が向こう側で聞こえた。変わりに照明の明るさが目に飛び込んできて少しだけ目が眩む。それだけのことが一瞬であって、それからは静かな空気へと戻っていく。おそらく今声をかけても返答は無いだろう。口の中には返答できるだけの空きがないはずだ。
(……うわっ)
考えた途端自分の口にもすっぱいものを感じてしまったので慌てて想像をやめた。
とにかく、ざまあみろ!と心の中で彼に浴びせながら少し開いた引き戸の間に指を入れて掴み、薙ぐようにして戸を開けた。
大きな音と共に視界が広く明るくなる。甲斐性の無さに比例していないようにも見える広い玄関口に、その家の主が転がっていた。片手で肩を押さえながら、もう片方の手でリバースしかけているものを押しとどめている。血色の悪い顔と相俟って、非常に痛ましい格好をしていた。そんな彼を見下ろしながら呆気なく敷居を跨いだ。位置関係上スカートが気になったので荷物でガードしてみた。
「阿部さん……」
「っは……!お、大江さんか……」
我に返った阿部さんが口に添えた手を外して私の名前を呼んだ。よかった、と言わんばかりに竦めた肩を楽にしていた。
「最初からそう言ったじゃないですか」
「名を騙って俺を怖がらせる算段かもしれんだろう……」
「幽霊がですか」
「『お化け』って言え!またもどっ……おえぇ」
口に手を添えなおして悶絶しなおしていた。この狂気じみた行動も大分見慣れた。
はあ、とため息まじりの相槌を打ちつつ、ローファーから踵を出して、靴を脱ぐ準備をする。
「退いてください」
私の声に、阿部さんは気の弱い返事をしながら象か何かのように緩慢に起き上がり、廊下へと続く道を開けてくれた。
廊下を見据えるとどこまでも明るい。けれど外のような昼間の家屋の明るさじゃなくて、夜の照明の明るさだった。何度も言うが阿部さんは大層な怖がりだ。だから阿部さんが家にいるときは昼間でも家中の電気が灯る。
「明るいところなら『でない』のでは?」という根拠らしいけれど、仮にも陰陽師。言わば心霊のプロが子どものようだ。
靴下になって廊下に上がると、阿部さんがよろよろと力なく立ち上がり袂を直すのを横目で捉えた。
進むと暖簾で区切られた一角が見える。その暖簾をくぐったところが、そこが今日から三日間の私の仕事場だ。綺麗に整理された流し台はおそらく出張前に佐藤さんが片付けていったのだろう。
どこに何があるかはこれから見つけるとして、真っ先に知りたいのはもちろんあの猫の居場所だ。水周り同様に清潔そうな卓に、買ってきた食材が入っているエコバッグを置くと、私の後ろをついてきていた阿部さんを振り返り問いただした。
「ニャンコさんはどこなんです?」
「近所の猫たちで会議があると聞いて出かけていった」
「何それ可愛い!それでいつ帰って来るんですか?」
「知らん」
阿部さんの答えが素っ気なかったためニャンコさんの所在ははっきりとはわからないが、おそらく、しばらく戻らないのだろう。台所の壁にかけられた時計を見ると現在18時を回ったところだ。早い家庭なら夕飯を食べ始める頃合だろう。
帰ってきた頃にはお腹を空かせているのだろうから、早く温かいものを作ってあげよう。思い立って手提げの中に食材と一緒に入っていた自前のエプロンを引っ張り出して首にかけたところで、ふと思い浮かび、それを頭の中で言葉にしながらエプロンを装着した。
ふと。過ぎる。
(これってアルバイトなのかな)
相応の働きをするのだから相応の報酬を頂いてもいいはずだ。第一押し付けられた家事をボランティアとして受け入れるほど寛大ではない。
しかしそんな邪な考えが心を掠った直後に現実を見据えて、かぶりを振った。ちょうどバイト探しのことを考えていた時のそれによく似ていたと思う。
家事は誰かにやってもらうのが当たり前の阿部さんがお返しなんてくれるわけない。感謝の言葉すら考えていなさそうだ。
でも三日の労働をボランティアだと考えるのは、癪だなあ。
「阿部さん」
「ん」
「そんなとこに突っ立ってるんなら洗濯の一つでもやってください。私一人が家事を全部やるのなんて割に合いませんよ」
悪態をついてから阿部さんを見てみると、暢気にエコバッグの中身を物色していた。その様子ではお給料は見込めそうにない。こんなおっさんでは素敵な恋の相手にもなりゃしないし、猫好きの私でもさすがに猫とそういう関係は築き難い。お金も恋も手に入らないのなら、私の思い描くアルバイトとは程遠い。
こんなものを一瞬でもバイトだと考えた私が悪いのだ。
にらめっこでもするように鮭の刺身と対峙していた阿部さんからそれをぶんどり洗濯へと追い立てながら、言葉を胸中におさめておいた。
(……それにまあ、)
王道な青春を経験したいわけでもないから、猫とおっさんの世話を焼くのも悪くはない。こんなの友達には自慢できっこないけれど。
今日の晩御飯は海鮮丼と煮物を少々。
(見返りは猫に求めちゃおう)
阿部+大江まじかわいいすてきまじすてき
001なんてタイトルにつきますけどたぶん続かないです。続いたら連作部屋作って隔離します。
2011.08.08
2012.01.30 改題・加筆・修正。