書類整理や雑務など、俺を支えるすべての業務をこなす獄卒たちの仕事量は膨大で、就業時間中にその日のノルマが終わらないと残業をすることになる。しかしそれでも終わらない場合は、各自持ち帰って仕事をすることも少なくなかった。
俺直属の獄卒秘書になると、書類整理や地獄の監視員クラスの比ではない労働を背負うことになる。自分だけでなく、俺のスケジュール管理もしなくてはいけない。鬼男君は俺よりもずっと閻魔帳の中身を熟知している。ゴメスの一件があってからは特にそうで、死者の出生からここに至るまでを調べて危険度を測っていると言っていた。一日に裁く死者の人数は多数。覚えるのにも、書類の整理にも時間が要る。
つまり彼は毎日残業しているということになる。申し訳ないと零しても、鬼男君はこれが僕の仕事ですからと無愛想に言うだけだった。
鬼男君のサービス残業のことを知ってからは、それに付き合うことにしている。どんなに遅くなっても、鬼男君に帰れと言われようとだ。最近は言っても無駄だと分かったからか、彼も何も言わなくなったけれど。
鬼男君の部屋には最低限の物しかない。文机と小さな棚だけ。
その他こまごました衣文掛けだとか身嗜みを整えるための道具とかを勘定に入れたとしても、この部屋は物が少ない。装飾品の類は一切ない。
鬼男君は寝て帰るだけだと言うし俺も気にはしない。嫌いではない。文机に向かう鬼男君の背は、執務室で死者を呼ぶときよりもかっこいい。静かに翌日の死者リストを読み込む姿は執務室で見せるしゃんとした背中よりも丸まっていて、毒気が抜けて近寄りたくなる姿をしている。それが情けなく映らないのだから鬼男君はすごい。
俺は執務室で居るときよりもここに居るときのほうが好き。いくら仕事しなくても、見つめていても、怒られないから。何より、いろんな角度から鬼男君が見れる。だから、鬼男君の部屋が好き。
冷たい音がして我に返る。目の焦点を鬼男君にあわせると、彼は大きく伸びをしていた。仕事が終わったのかと思い、うつぶせだった体を起こして四足で這うように近寄った。とうとう布団が足先からも離れる。鬼男君のうなじ辺りから顔を出した。
「おつかれー」
「明日は多いですよ」
体を緩ませ、一つ息をついてから、俺を見ることなくそう言った。肩越しに覗いたメモにある分刻みで動く明日のスケジュールは終業の時間に達してない。まだ途中のようだった。いつもはもう少し早くに終わるのにな。
「ええー……」
「えー、じゃない。とにかく明日は忙しいんだから、無駄口叩かずてきぱきこなして下さい」
「それ、あとどのくらいで終わるの?」
「そうですね……」
スケジュールを黙視。
「これでまあ7割ってとこですかね」鬼男君の見積もりが俺の予想を下回った。
思わず唸り声を上げると鬼男君は俺のほうを少し向いて怪訝な顔を見せた。
「なんですか」
「だって、もう終わりかと思ったんだもん」
「お疲れなら帰ってもいいですよ?」
「やだ。終わるまでは絶対いる」
「ご勝手に」
筆記具を取り、また机に向かいなおした。もう俺のほうは見てない。
構ってくれないなんて年頃の女の子みたいなことは思わないけれど、せっかく近寄ったのにスキンシップがまるでないのは少し寂しかった。けれど残業に支障が出やしないかと思うと何も言えない。
目の前で、鬼男君の金髪がさらりと揺れた。目が合った。
「隣に居るくらいなら、邪魔じゃないですよ」
畳を人差し指で叩く音がした。指と音につられるようにして鬼男君の左肩に寄った。しな垂れるように鬼男君の腕に顔を摺り寄せてみる。
「よくわかったね、俺が言いたいこと」
「秘書ですからね」
「敏腕だなあ」
「そう思うなら僕をもっと労わって下さい」
「上司としてサビ残禁止命令を出せってこと?」
「……そうでなくって」
不意に支えにしていた右手が掴まれた。視線が下がる。
え、と声を上げたころ、俺の右腕は鬼男君の背に沿うように伸ばされていた。崩れた体勢を直すことも出来ないまま彼を見上げるとまた目が合った。アオリから見た鬼男君の浅黒い頬が僅かながら紅潮していた。
「左手も貸して下さい」
言うや否やわざわざ遠い右手を伸ばして、俺の左手を掴む。それは背ではなく腹に沿った。
無言のまま彼が為す工程を見つめていると、上から声が降ってきた。
「何して欲しいか、……分かりますよね?」
確認というよりも懇願に近い声音だった。内側がざわついた。口から感情が溢れそうになるのを止めなかった。頬が持ち上がった。
両手で鬼男君の腰を抱いて、顔を思い切り摺り寄せた。
「こういうこと?」
「そういうこと」
左手が俺の頭を撫で、右手はいつの間にか筆を取り直していた。髪か紙か判然としないがさらりとすべる音が耳に残った。
「どうしたの急に」
「いつも待たせてばかりだったし」
「良いのにそんなん」
「……とか言っちゃって」
「なんだよ」
「物がなくて退屈だってのを良いことに、わざわざ布団まで出して、僕を待って……」
そこまで言うと、鬼男君は今まで以上に顔を赤くした。面白い。
小さく歯を見せると鬼男君は目の端で確認したらしく、悩ましげに眉を寄せた。
「これ見よがしでしたよ」
「見せてたんだもん。そりゃそうだ」
「欲求不満ってやつですか」
「そーだねえ」
「当面はこれで我慢してください」
「早く終わらせてね。鬼男君」
腰に頬を更に近づけた。衣擦れの音がする。両手の締め付けもちょっと強くした。
「明日もこうして良い?」
「良いですよ」
嬉しくなってまた締め付ける。鬼男君が鬱陶しそうに身じろぎをするが、もちろん逃げられない。逃げようとした罰に、また締め付けた。
(……ていうか、しませんよ)(え、何で?)(だから言ったでしょ、「当面は」って)(……サビ残廃止令を出してやる)(次の賽日まで待つんですか?まあ残業できないんじゃ、僕は賽日もへとへとでしょうけど)(えー、じゃあ俺仕事ちゃんとしなきゃいけないじゃん)(そうですよ。だから、「労って」って言ったでしょ)
お互いがお互いよりも上手だ見たいなこと思ってるとかわいいなって。
実際鬼男君のが上手だとかわいいなって。
2012.02.13